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悲しい

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本日、第四十八代横綱 大鵬 逝く!
http://www.taiho-yokozuna.com/

優勝回数歴代1位!賜杯を最も多く抱いた男・ 大鵬。32回の中から初優勝と横綱昇進を決めた3回目の優勝場所を



優勝回数32回の中から4回目・11回目・24回目優勝場所!



優勝回数32回の中から27回目と最後の32回目の優勝場所!(歴代3位の連勝記録・45連勝がストップした一番も)



柏戸 vs 大鵬~昭和35年初12日目(初対決)昭和35年名古屋8日目、昭和35年九州14日目、昭和36年春11日目、昭和38年秋千秋楽(全勝対決1) Yokozuna No.47 Kashiwado Tuyoshi / Yokozuna No.48 Taiho Kouki



第四十八代横綱 大鵬  本名:納谷 幸喜(なや こうき)
1940年(昭和15年)5月29日生 身長187cm。血液型はB型。樺太敷香郡敷香町出身で、北海道川上郡弟子屈町で育った。父親はウクライナ人のマルキャン・ボリシコ、母親は日本人の納谷キヨでハーフである。納谷は母の姓。

「巨人・大鵬・卵焼き」の流行語で一世を風靡(ふうび)し大相撲で史上最多32回の優勝を達成した元48代横綱大鵬の納谷幸喜さんが本日1月19日午後、心室頻拍のため、東京都内の病院で死去。享年72歳。樺太の敷香(しすか=現サハリンのポロナイスク)で生まれた。5歳で命からがら脱出、白系ロシア人の父と生き別れ、北海道の辺地を転々とする苦労を味わった。16歳で二所ノ関部屋に入門。毎日のしごきに耐え、1日四股500回、鉄砲2000回のノルマをやり通した。1961年に柏戸と横綱同時昇進を果たし「柏鵬時代」を築いた。その強さと人気の高さから「巨人・大鵬・卵焼き」という流行語が生まれた。71年に引退。一代年寄を許され「大鵬部屋」を創設したが、36歳の時に脳こうそくで倒れる。左の手足のまひという後遺症となったものの、2000年には還暦の土俵入りを披露している。三女の娘婿の元関脇貴闘力(元大嶽親方)が後継者となり「大嶽部屋」を開いたが、元大嶽親方はプロ野球賭博問題で相撲協会を解雇された。05年から08年まで日本相撲協会の相撲博物館館長。04年に紫綬褒章、09年に文化功労者。00年8月、日本経済新聞に「私の履歴書」を連載した。初優勝し大賜杯を手に喜びの関脇大鵬(1960年11月27日、福岡スポーツセンター)1966年の秋場所、優勝決定戦で柏戸を破り通算22度目の優勝を飾った大鵬(1966年9月25日、蔵前国技館)東京蔵前国技館で行われた大鵬の断髪式。師匠の二所ノ関親方が最後に大いちょうのまげを切り落とした(1971年10月2日、蔵前国技館)

通夜は30日午後6時から、葬儀は31日午前10時から、ともに東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は妻芳子さん。連絡先は東京都江東区清澄2の8の3の大嶽部屋。



私がまだ幼稚園だった頃、横須賀の「三笠公園」で行われた巡業で、。「大鵬」と大声で叫びながら背中を思い切り叩いたら、振り向いてくれた顔は笑顔だったけど~眼光が尖すぎて、圧倒されて後様に尻餅ついて泣いたら、肩に担いでくれたのが、一番の思い出です!ご冥福祈ります。カッコ良かったぁ~~


 


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